言葉への信念と疑念がないまぜになっている。ダイアログのみによって映画は駆動して、カメラはいたずらに観客を振り回さない。狭い空間で、俳優たちが静かに、しなやかに演技をして、それでじゅうぶんなのである。脚本も素敵であるが、演技が脚本を超えてさらに映画をよくしているとはっきりわかる。

カメラが観客を振り回す代わりに、ひとは言葉に振り回される。腹に一物を持ったキャラクターが、言葉によってひとを戸惑わせたり、それを言ったもの自身がかえって戸惑ってしまったりする。この言葉というものが、思いがけずにひとを騙したり、裏切ったり、生き返らせたりする。そしてその幻想をはっきりとフィルムに定着させたのが、この映画である。

はっきりと意思をもったひとびとが、素直な心根をそのままに吐き出すのが気持ちいい。誰にでもある偶然と、誰もがおもう想像を、もやっとしたところもそのままに吐き出す。底には思いやりがあるから、鋭利ではあってもいやなトゲがない。そのやるせないような、しかし逃れがたい偶然に、それまでおしだまっていたカメラが思い出したようにズームインする。そのアクセントはつごう3回発生したとおもうが、どれも心をえぐる秀でた技術におもわれた。

3本立ての中編は甲乙つけがたい後味を残してくれたが、しいてひとつを選ぶのであれば、第一編の「魔法(より不確かなもの)」を推したい。登場人物のプロフィール、千駄ヶ谷から渋谷あたりの見慣れたロケーション、そしてなにより僕自身のいまでは懐かしい過去の個人的な経験が、難しい言葉のやりとりとそのはしばしにあふれる心の機微を切なく美しく感じさせてくれた。

渋谷の文化村シネマで鑑賞した。早めの時間に原宿駅を降りて、渋谷まで歩いた。長くても1年ぶりくらいにしかならないはずなのに、ずいぶん街並みは変わった気がした。オリンピックのためだろうか。

春に備えて派手な服でも買っておこうかと、お気に入りのレゲエショップにいってみたら、潰れてなくなっていた。アルバイト時代によくいっていた天下一品は変わらずやっていたので、上映前にいっぱいかきこんだ。