大学を出たての僕に仕事をくれたひとに、中野のアーケードでばったり出くわした。あ、似てるひとがいるな。とおもってすれ違おうとした瞬間に、そういえばこのあたりに住んでいたはずだったとひらめいて、人違いなら謝ればいいだけとおもって声をかけてみると、はたしてそのひとだった。
立ち上げてまだ1年ほどの、10人ばかりの会社だったが、それにしてはずいぶんおおきなクライアントとのプロジェクトに関わらせてもらった。ペーペーのぼくにはあきらかに分不相応なくらいの信頼をおいてもらって、ひとつふたつでは済まない失態もあったが、それがなければいまの僕はないだろう。そんな感傷的なセリフもためらいなく言えるくらいに、恩義を感じている。
データマーケティングの会社だった。そのひとはその会社の代表でありながら、オフィスでは僕を隣の席においてくれた。データの見方の手ほどきをしてもらったことがある。血気盛んな若者であったので、プログラムを書かずにエクセルを使うというのにはじめは拍子抜けさせられた。が、表のうえの無味乾燥なデータが、流れるように加工され、意味をまとっていくやり方が魔法のようで、すっかり魅了されてしまったのを覚えている。表計算をまともにあつかえるスキルは、なにかとその後の仕事のうえでも役立っているし、これこそかけがえのない OJT であったなあと懐かしく思い出す。
僕が国外に出ても構わずに発注してくれたし、帰国してからもお世話になった。その意味では、業務委託を請ける立場ではあったが、新卒で採って育ててもらったような恩を感じている。
その会社はみるみるうちにおおきくなって、代表の仕事を近くでみることのできるフェーズは過去のものになってしまった。僕自身もそれなりに視野がひろくなり、まったく縁のない会社に評価を求めて、いまではそこで働いている。
業務委託を終えたいと相談した折には、多忙のなかであっただろうに、みずから粘り強く引き止めてくれた。しかし僕はそれを蹴っていまのポジションにやってきてしまい、どこか恩を仇で返したような気まずさが残っていた。もうお会いすることはできないだろうなとおもっていた。
そこへきて、まったく予期していない場所で、まったく予期せず再会してしまうので、人の世とは不思議なものである。かしこまった挨拶となるとどうも気が重いが、思わぬ行きがかりであったので、恥らいなど考えることもなく、元気に挨拶をすることができた。事業は大順調の様子で、どうぞまた手伝ってくださいとまで言ってもらえた。普通の社交であればリップサービスであるのかもしれないが、いまや小さいとはいえない会社の経営をしているようなひとであるから、きっと実利として僕を評価してくれているのだろうと、素直に嬉しくおもった。
かたや社員でかたや代表という立場であるから、気まずくおもっているのは僕のほうだけで、いちど去った社員が戻ってくるというのはかえって嬉しいことなのかもしれない。もっとも、いますぐにでも仕事がほしいという喫緊の状況ではないし、いずれ仕事を探し直すにしても選択肢はたくさんある。とはいえ、仮にいまの会社が潰れたとして、いざいざとなったときに僕を拾ってくれる会社がすくなくともひとつはあるような気がして、すこし大きな気持ちになれた。