2021年の大型連休が終わった。いやすでにこどもの日でもって終わっているという向きもあるが、僕のなかでは今日の日曜日をもって「終わったなあ」という情緒であるので、振り返っておく。
arduino で遊んだ
LED をチカチカさせたり、電圧計の使い方を覚えたりした。
電子工作はまったく初心者だし、電気の知識さえ中学レベルで止まっているあたりが引け目になっていた。
『みんなの Arduino 入門』をウォームアップとして一周した。半日で終わるくらいのちょうどいいボリュームだった。大型連休の初日を楽しませてくれた。
本当は『CPUの創りかた』を読みたかったところ、秋葉原に部品を買いにいくというところがネックになり止めている。そもそも祝日に営業しているものかわからないし、それでも平時であればとりあえず出かけてみるのだが、どうせどこにいってもどこも臨時休業だろうし、と萎縮して出かけるのをやめた。
そのおかげで、これから書く別のトピックにも時間を割くことができたわけでもあるので、怪我の功名というか塞翁が馬というか、まあなるようにしかならない、という気分であった。
Leetcode で連結リストと木構造のレッスンをした
僕がいまの会社の入社面接を受けたときにはコーディング試験というものはなかったのだが、近頃になって導入を図っているらしい。Leetcode の適当な問題を指定して解いてもらう形式と聞いて、自分でもアカウントを取得してやってみることにした。
日曜日の週次コンテストに数回参加した。しかしコンテストというよりはむしろ教育コンテンツがメインのサービスだということがだんだんわかり始めた。
で、連休には Introduction to Data Structure というシリーズをやってみていた。やったのは Arrays 101 と Linked List そして Binary Tree である。
実をいうと、連結リストを自前で実装するのは初めてだった。競技プログラミングであればキューとかスタックを呼び出すだけの話なので、考えてみればそれはそうでしかない。やってみるとまあバグること。思わぬ無限ループをやたらに発生させていた。でも、うまくいかなくてイラつくというよりも、着実にエッセンスを学びとることができているという興奮の方が大きかった。その意味で、練習問題の質はとてもよいと感じた。
Linus が言っていた センスのいい単方向連結リスト のセンスのよさがわかるようになった。僕自身はというとセンスが悪いほうのコーディングをするのがまだ精一杯だが、少なくとも Linus が何を言っているのかがわかったことが嬉しい。
AtCoder で初めて水色パフォーマンスを出した
4月の最後のコンテストで レーティングが緑になった 。
たぶん三日天下で終わるんじゃないかと思っていたのだが、続けて出た5月最初のコンテストでは初めての 水色パフォーマンスを出すことができた 。まあこれも速解きの産物でしかなく、あまり実感はわかないのだが、結果は結果として喜んでいる。
しばらくレーティングが伸び悩んでいたので、このあたりが自分の実力の相場なのだろう、と卑下してしまっていたところがあったが、まだ伸び代はあるなと感じている。おりしも 典型90問 という企画も提供されていて、これも学びになっている。なかなか難しくはあるが、難しくてこそ学びがいがある。
そういう気分であるから、緑色になったことに満足して参加を止めるなんてつまらないことは言わないで、腕試しの参加はまだまだ続けたいとおもう。
DDIA を読了した
昨年末に着手した Designing Data-Intensive Applications を読了した。これは 別のエントリ として投稿した。
消費サイクルが激しい世の中にあって、ひとつの重要な本をじっくり読むというのは贅沢な経験だった。トレンドやマーケティングの波に振り回されずに、自分が重要と信じるものに粘り強く、真面目に向き合おうとする態度は忘れないようにしたい。
放送大学に行ってみようと決めた
これも別エントリにすでに書いているが、大事なことなので再訪する。
どこにも出かけられずに過ごす連休の真ん中あたりで、世の中の息苦しさにあてられていた。海外にでもいきたいなと随筆をした。これを呼水にして、いつかやりたいことと、なりたい自分の像、そしてそのためにいまできること、といった具合に考えが膨らんだのだった。
「理工系の大学で勉強したい」という願望のようなものは以前からぼんやりあったが、学位がほしいわけではないことははっきりとわかった。それよりも、いま仕事でも趣味でも眺めているコンピュータとプログラミングのパラダイムを、いまよりも高い解像度で捉えられるようになりたい、そのための勉強がしたい、という願望に言い換えられるようになった。
コンピュータの勉強であれば自走するだけの体力はすでにあるが、基礎科学的な勉強は独学するよりもまずはレールに乗って学ぶべし。そしてそのニーズを埋める場所として、放送大学はうってつけの環境である。そういう気持ちになっている。
まあ、これは向こう数ヶ月でまたアップデートするトピックではあろうが、いまのアティチュードとしてはこんなところである。
社内勉強会の予習をした
新しい会社にはいり、読書会という(僕にとっては)新しい形態での勉強会に参加することになった。『アルゴリズムとデータ構造』と『マイクロサービスアーキテクチャ』をそれぞれ読むふたつの会にサインアップした。
どちらも自分ひとりで勉強するのであれば手にとることはない本であったようにおもう。そもそも 「新刊本は買わない」というポリシー を掲げているわけで、あるいは書店で見かけていたのかもしれないが、基本的に見向きもしない部類の本である。
「新刊本は買わない」という2021年の目標には反する形になるが、まあこれは別として自分に許してしまうことにする。どちらもそこまで難解な本ではないし、週にそれぞれ1-2時間ほどを割り振ってやる計画で十分読める。
とりあえずは勉強会という新しい学びの形式を楽しめたらなと思っている。
指輪物語を読んでいる
現実に向き合うのがつらいのでフィクションばかり読むようになっている。このあいだまでは SF を多めに読んでいたのだが、だんだん科学よりもファンタジーを求めるようになった。「じゃあやっぱりここからでしょ」と言わんばかりに大古典を 全巻セット で購入し、読み始めた。
映画シリーズはひととおりみているが、原典を読むのは初めてである。しかし読み始めてみると、映画のイメージとは関係なく、とても新鮮な気持ちで読める。いい年してワクワクドキドキしながらページを繰っている。
なにせ壮大な設定が背後に控えているので、読むのも楽しいけど読み終わったら解説やら考察やらを知らずにはおけなくなりそうだし、映画も見直したいし、ホビットの冒険も読み直さなきゃいけないし、ととめどなくなりそうである。
これだけ楽しめるのは幸せとしかいいようがないはずなのだが、そうなるといよいよ時間のやりくりがたいへんになるなあとうれしい悲鳴をあげざるをえない。あのとき買ったビットコインを売らずに握っておけばいまごろはそれを換金してもう1年くらいは無職で好きなことだけやれたのかな…という現実逃避が頭をもたげるが、そういう空想にふけることができるのもファンタジー世界に心を半分持っていかれているからだろうか。ある意味で幸せなことではあるが、お花畑と揶揄されない程度には注意しておきたい。