元日にあわてて立てた目標は決して根付かないだろうと信じるので、お試し期間の一週間に吟味し、決意しているところを掲示しておく。「○○をする」という形式はおのずと努力目標にならざるをえないだろう。強い制約として日常生活をしつけるために、「○○をしない」という禁止の形式で4箇条を定義することにした。
- 副業をしない
- 新刊本を買わない
- 新しい技術に踊らされない
- 食事中にビデオをみない
副業をしない
副業を依頼されて嫌な気分はしない。「自分は名指しで依頼されるだけの実力の持ち主なのだ」といい気分にさせられる。しかしこれは単なる虚栄心である。
仮に生活に困窮してしまったとして、そのときに副業というアディショナルな選択肢を持てるのは幸福なことである。ただしいまの僕はそれを求めない。自分なりに納得のいく金額で評価をもらえている現状、それを超えて金を求めるモチベーションはわかない。
モチベーションとしては、稼働を増やす方向付けよりも、単価を上げる方が望ましい。少ない稼働で同じ収入を得られるのは魅力的に思う。とはいえこれは今年単年の目標にはなり得ないので、いまは考えないでおく。
新刊本を買わない
スマホブームの揺り戻しなのだろうが、本を読むことすなわち教養というやや短絡的な逆張りが目立つ。「積読」という言葉を肯定的に捉え直してみたり、「巣篭もり需要」とかにかこつけて本を売ろうとする隠然たるマーケティングも多く感じた。
出版は掛け替えのない産業と思うし、本を売りたい気持ちもわかりたいと思う。しかし怪しいブロガーや起業家に書かせた安い本からヘイト本まで、売れそうとみるや恥も外聞もなく売りにかかる姿勢は堕落そのものである。
話題先行であったり、明らかに広告が優位な出版物とは距離をおきたい。あらゆる新刊はプロモーションを伴うとして、新刊は一切買わない、と割り切ってしまうことにする。
時間の審判に耐えた書籍だけを読む。そして読むと決めたものについては精読する。1年で10冊も読めればそれでいいと思う。その体験をどれだけ豊かにできるかは読み手の僕自身にかかっているというだけの話である。
新しい技術に目を奪われない
トレンドは次々にやってくる。しかしそれらの宣伝をみても、正しく意義を理解できないことの方が多い。どんなパラダイムに属していて、どんな課題を解消する技術なのかがうまく飲み込めない。
よくわからないまま踊り始めることを悪くは言わない。現に僕自身、そうして学んできたところは大きい。しかしいくらか成長してみて、踊っているつもりが実は踊らされているだけだったと知るのはあまり嬉しくない。
まずは枯れたパラダイムを明晰に理解することが必要だ。 teachyourselfcs.com がよいコンパスとなる。その上で、乗るべきハイプを見極めて踊ることも必要だ。踊る人々を見て、単に冷笑して見せるだけというのは醜い。ある技術にベットするのは、張り間違えたとしてもそれが掛け替えのない学びとなるのであれば、そう悪くない。ギャンブルに見立てるならば、早いフェーズで乗るかそるかを決めてしまい、引くに引けなくなるのが最悪だということだけ注意を払っておけばよい。
食事中にビデオをみない
一人で食事をするときに、 Netflix なり YouTube なりを再生しながら食事するのをやめること。これは単純な悪癖であるが、あまりに常態化してしまっている。「ながら食べ」は行儀が悪いと自分自身をしつけ直す。実際、そこまで慌てて消費なければならないコンテンツなどない。
いっそ、これら動画プラットフォームと縁を切られれば人生の充実度は確実に高められるだろう。「YouTube は今後一切みないことにして、余暇には読書しかしない!」という目標を立てるのもよい。ただこうした抑圧は揺り戻しを伴うから、あえてそうまではしない。まずは最低限、食事中のマナーを正しくする。それができたら、段階的に引き締めていく。