半年ぶりに人のためにはたらくことになった。と言っても、自分で行動を起こしてポジションをつかみ取ったわけではない。以前よりお世話になっていた縁で依頼してもらえただけで、ただただ運に恵まれただけだ。

 もし声をかけてもらえていなかったら、きっともうしばらくの期間を自分のための時間に充てていただろう。とはいえそれにしても、決定を先延ばしにしているだけで、遅かれ早かれなにかしらアクションをとる必要はある。そう思って、今日からまた新しく仕事を始めることにした。

 このブログは、今日にいたるまでの数ヶ月のあいだ、すなわちもっとも時間の有り余った時期に始めたものである。とりわけこの1ヶ月半ほどは毎日なにかしらのエントリをアップロードしていた。

 そもそも誰に宣言して始めたものではなく、誰に読ませるためのものでもなく、ただ自分の満足のために書いていた。それが気づいてみると、書くことは毎日のルーティンとなり、自分の信念を書くという以上に、むしろ書いた言葉が自分の信念として定着するという思わぬ副産物にも見舞われた。なにをして、なにを学びえたか。なにをしたくて、なにをすべきなのか。その方向付けを得るためにこの場所が果たしてくれた役割は大きい。

 今日という日は明らかにひとつの区切りである。仕事は好きだ。自分の能力に期待してもらえて、それに報いることができるのは気持ちがいい。しかし目先の仕事の有無とは別に、10年先の自分がどうなっているかが想像できない不安は変わらない。この先どうなるかはわからない。どうしていくかも決められていない。しかし可処分時間を大きく減らすことになるこのタイミングで、ひとまずの区切りとして自分にこう言い聞かせたい。

 よく考えながら生活すること。そのために、アイデアや学びは書き継いでいくこと。量や粒度に囚われることはない。あるいはかえって、書くこと自体を目的化するのも構わない。ただそうして書いていった先にこそ、なにか新しいインスピレーションがあるはず、と願って、愚直にやっていくこととしたい。