昨日、一昨日と数学に関係するエントリが二日続いたのは、明らかにひとつの方針を指し示している。数学を学び直すこと、ひいては基礎を学び直すこと。これが今後のひとつの軸になるだろうと予感する。

 学問的根拠がなくても仕事はできる、とする向きがあるのは理解している。また僕自身、そうして仕事を得ることができていたのも事実。そのような状況で、なんのために学ぶのか?

 業務に必要な実践知だけあればそれでいい、という考え方を否定はしない。そういった土壌がなければ僕がこの業界に身を置くことはできなかったのは明らかであるから、そのような風土に感謝こそすれ、頭ごなしの否認などは決してできない。他方で、応用を過大評価し、基礎を過小評価するのであれば、それは反知性主義にほかならない。僕自身、かつてその傾向に毒されていたことは否定できないが…。

 競技プログラミングの問題を解くようになり、自分の得手不得手の傾向がわかり始めた。つまり、実装にいたるまでの発想に直感の傾向が強く、数論的分析や証明の手続きに弱い。直感でプログラムを定義できるのは悪いことではない。むしろ誇らしくも思う。しかし不得手な分野、つまり数学的エッセンスが散りばめられた設問をいくつも解いていくうちに、「もっと知りたい!」という思いが鬱勃としてあるのを発見した。

 基礎を学ぶこと。僕にとってそれは、「プログラマたるものかくあるべし」的な信念ではなく、純粋な好奇心の問題である。数学を学び直すことでそれを満たすことができるかはわからない。結局のところ、純粋数学というよりは計算機科学を中心に据えて取り組むことになるだろう。場合によっては逸脱的な学習進路をとることになるかもしれないし、あるいは王道をとって大学に再入学することもあるかもしれない。

 いずれにしても、20代も半ばをすぎてこのようなことを考えた、というものを書いて、ここに表明しておく。