エンジニアとして就職してから2年になります。その間、進んで技術記事を書いたりはしないできました。たまにQiitaに書くことはあっても、それは「この情報は絶対に誰かの助けになる」という強い動機づけがあってやっと書き始める、というくらいには腰の重いものでした。

 というのは、ひとつには「アウトプット」という言葉の無機質さ、あるいは即物的な響きが好きになれなかったことがありました。

 もう少し詳しく言うと、どうせ書くのなら、自分にとって必然的なトピックを書きたい、というわがまま心が一方にあって、もう一方には、例えば「毎週1記事書く!」といったような、目的の曖昧な精神論っぽい言説が強調されがちな風潮への疑問がありました。要するに、「アウトプット」とはなんだろう、という前提に対して、まだ自分なりの答えを持てていなかったことになります。

 それがこうして、きちんとブログとして体裁を整えて「アウトプット」をしようと心変わりできたのは、自分の能力を表現しなければならないという、自分なりの理由を見つけられたと思うからです。

 それは平たくいうと、自分の技術力に対して、ようやく自信を持てるようになってきたことがあります。言い換えると、「自分は未熟であって、発信できるスキルなどない」という考えにかつては支配されてしまっていたことになります。「自己発信をしている暇があったら、いまの現場の技術力にキャッチアップしなくてはならない」という考えもあったはずです。

 同じ現場にとどまる限りにおいては、それでも問題はありませんでした。僕の成長は僕の書くコードや、ミーティングでの振る舞い、トラブルへの対応といった、日々の業務においてアピール可能であって、それをあらためて外部に発信する必要はありませんでした。

 しかしある現場の外に出て、何が僕の技術や信頼性を担保してくれるかというと、紹介状を書いてもらうのでもなければ、それは自分で証明するしかないわけです。そして、多くの会社はその実力を証明する機会すら与えてくれません。コーディング試験があればまだいい方で、たいていは紙切れ一枚の経歴書をざっと眺めてスクリーニングされてしまい、それきりです。

 そんな結末を、こんな記事を書くことで回避できるようになるか? そううまくはいかないでしょう。結局のところは、いくら書いても読んでくれない人は永遠に読んでくれないし、読んでくれたところで誤読されたまま終わる可能性もあります。悲観的になろうと思えばいくらでも悲観的にはなれるわけです。

 とはいえ、もしたった1人でも、僕の記事を読んでくれて、役立ててくれたり、気に留めてくれる人がいるのであれば、その1人のために労力を払って書き続ける価値はあると思います。詰まるところ、読んでくれない人のために書いているのではなく、読んでくれる人のために書くのかなと…。あるいは自己満足といってもいいでしょう。

 要するにこれは、ボトルに手紙を詰めて海に浮かべるような事業です。誰に届くかはわからないですし、そもそも届ける相手がいるのかをこちらから知ることすらできません。しかし、インターネットというのはそもそもそんなものだよな、と思えば、それは大したことではないでしょう。

 こんな動機で、ブログを書いていくことにします。