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  <title>ﾕﾕﾕﾕﾕ</title>
  <updated>2026-03-11T13:00:00Z</updated>
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    <title type="html">アントニオ・カルロス・ジョビンの「三月の水」をしんみりときく</title>
    <published>2026-03-11T13:00:00Z</published>
    <updated>2026-03-11T13:00:00Z</updated>
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    <content type="html">&lt;p&gt;三陸に引越してきて最初の３月１１日だ。防災無線が鳴って目が覚めた。慰霊式典があるといった。黙祷のためのサイレンを鳴らすといった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;野球大会の予選リーグの中継をみながらいつもみたいにはたらいた。カナダがプエルトリコに競り勝った。イタリアがアメリカに追いあげられながら逃げ切った。作り置きのミートソースをスパゲティにからめて食べた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;サイレンの鳴る時間に外に出た。いい天気でしずかだった。玄関先に腰掛けた。三十秒くらい鳴るのを目をつむってきいた。いろんなものの音がよくきこえた。風が葉っぱをひきずった。ゆっくり車がよこぎった。エアコン室外機がまわっていた。サイレンの残響がゆっくり消えていきながらいつまでも残っているみたいだった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ちょうど慰霊式場にお花をとりにいくところの花屋さんとしんみりはなした。隣の先輩はきょうは気持ちの切り替えがつかなくてなかなかつらいけどそれも生かされていることの意味なんですねとつとめて明るくおっしゃっていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;冷凍の春巻きをフライパンで焼いて焦がした。焦げてもうまかった。七時のニュースはいつもより長く大震災の特集をした。あたらしく住んでおぼえはじめた街の知っている景色をいくつもみた。アントニオ・カルロス・ジョビンの「三月の水」をしんみりとなんどもきいた。&lt;/p&gt;
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    <title type="html">気仙沼までお昼ごはんを食べにいく</title>
    <published>2026-03-08T07:00:00Z</published>
    <updated>2026-03-08T07:00:00Z</updated>
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    <content type="html">&lt;p&gt;早起きしたらゆうべからの小雨がまだ降っていた。掃除と洗濯をひととおり終えるとお日さまがみえるようになった。晴れてすごしやすそうな週末はバイクに乗ります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;気仙沼まで国道４５号で二時間弱、のんびり走っていきます。ひらけたあたりの道路はすっかりかわいていて、山の陰になった道はひんやりしてまだ湿っていた。石巻の市外に出たらほかに車はみえなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;反対車線でたぬきが死骸になって横たわっていた。カラスが一羽そのかたわらにたたずんでこっちをみた。ギョッとしてとおりすぎざまにサイドミラーをのぞけば煽り屋のライトバンに張り付かれているのに気づいて、すぐさま先を譲って勝手に消えていただくことに、です。まだ濡れている道で法定速度の倍は出しちゃっているようにみえて、こわかったですね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さんさん南三陸でトイレ休憩をして、さらに国道の先にすすめばここからははじめてのコースです。気仙沼まであと何キロ、と書いてあるのがやさしい道路標示にだけたよって、ほどよい蛇行路にそってまっすぐいくと、小一時間で市街にはいります。バイパスが新繁華街のようになって渋滞しているのに捕まります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;港に向かって、お目当ては市場そばの「鶴亀食堂」の定食です。メカジキのカマ照焼きとカツオのお刺身をいただきます。照焼きはプルプルのコラーゲン質に独特の歯ごたえがあって食べ進めるのに単調さがないのがおもしろく、カツオはとろりと粘ってあとは溶けるだけの舌触りがおどろかせてよこします。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;食後の休憩のあと気仙沼大島まで足をのばしてみます。島南端に岬があって龍舞崎と呼ばれているのを地図でよんだのをおぼえていたのでした。港から湾にそっていくうち大島という表示があらわれてくるのにしたがっていきます。離島まで海をまたいで巨大道路橋でわたらせます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;龍舞崎は駐車場にとめたあと松並木のトンネルに沿って遊歩道がととのえてあって、坂道をのぼりくだりあるいていくとすぐ突端までいけます。はるかしたのほうにみえる海面はそのすぐしたにかくれた浅い岩場が大波小波をくだいて真っ白に渦巻いています。大風が吹いて目をあけるのも苦労するほどです。海面に突き出した岩が荒波を捕まえて、それを突風がさらに押し返しています。激しい景色です。ドラゴンがあばれているみたいな景色といえばたしかにそうみえたものでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;道路情報の電光掲示板に不穏なニュースがみえています。暴風警報発令中。このさき横風に注意。大島から本土にふたたび大橋をわたるのに、突風はたしかに右から左から吹いて、法定速度にあわせて走ってもなお不安な難路でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それからさきの長い帰り道、林のなかならまだしも風は一方向にだけ吹くが、ひらけた平野に出れば突風は上下左右から激しく打ち付けてよこします。車両をあおる横風に耐えるほか、頭蓋骨を打つ風が首を全方向に揺らそうとしてよこすのが試練になります。視線が安定しなければ身体も車両も安定させるのがむずかしくなるはずとおもって、肩と背中をかためて首を支えるようにします。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;細かい停車をおおめにはさみながら、南三陸、登米、石巻と帰ってきます。最後に給油をしておわりにしようとすれば、ヘルメットをはずして緊張を解除したとたんにそれまで浴び続けたぶんの花粉のつけがまわって、くしゃみが五度も十度もつづいて止まらないのでした。&lt;/p&gt;
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    <title type="html">イオンシネマ石巻で『レンタル・ファミリー』をみる</title>
    <published>2026-03-01T14:00:00Z</published>
    <updated>2026-03-01T14:00:00Z</updated>
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    <content type="html">&lt;p&gt;ファーストデーの割引で映画をみる。２０２５年のアメリカ映画。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;都心のビル群、首都高、スクランブル交差点、雑踏のモンタージュ。改札を駆け抜けて電車にまにあわない大柄の男がひとり。オーディション会場には駆け込みでまにあったようだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;フィリップ（ブレンダン・フレイザー）は在日七年目のアメリカ白人で、役者のしごとをしている。どうも伸び悩むようすで、書割がわりの一本木の着ぐるみを着て虚空をみあげて「なにやってるんだろうな」というぐあいにたそがれている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;早朝の電話がフィリップを叩き起こして、いまから埼玉で「かなしむアメリカ人」の仕事があるからいけと命じる。葬儀場なのだった。参列者は端から端まで号泣していて、いくぶん過剰に芝居がかっている。いや、おれも役者にほかならないのだから、と腰を据えようとすれば、うわっ！　棺の故人が頭をもたげた！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;でっちあげの葬式、言いかたを変えれば幸福な生前葬をみとどけて、ほら、次の遺族が来るから！　と多田（平岳大）にうながされつつ名刺をもらえば、こうして儀礼を演じせしめることが彼の事業なのだった。会社の名前を「レンタル・ファミリー」という。映画はフィリップがこの会社で、父無し子のためのニセ父、引退俳優のためのニセ記者、ニセ結婚式のためのニセ新郎、こうしたものを演じていくさまをみせる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;モチーフはおもしろいとおもって、それでいてバランスを欠いた表現が次々あらわれるのを興ざめにおもってながめた。演じることをテーマにして映画を撮ったら、ふつうは映画自身がそのテーマに食われてしまいかねない。しかし現実には、斬るか斬られるかの深刻な主題をもちあげて、甘ったるげな仕上がりになっているのが残念な肩透かしとおもった。レディメイドな着想の寄せ集めで閉じてしまって、それより高いひろがりには至らなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;広告キャンペーンだけでなく劇中人物のセリフも一貫して日本は、日本は、といっているが、病んでるのは日本というより東京の特異な労働文化と拝金主義だけでしょ、と皮肉な気持ちでみせられることにはなった。おなじ大都会でも大阪では成立させづらい筋書きは、病んだ東京のスナップショットとしかいえない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;深刻なこととそうでないことの区別をうまくつけることがうまくできずに、あるいはいくらか積極的な態度で、そこにある問題をみなかったことにする。責任をもってそれを語ればかならず残酷になるとわかるものを、わざとあいまいにだけ語ることで責任をのがれて、なんか悪くない雰囲気だったよね、と反省を欠いたまま前に進もうとする。そのような態度こそきわめて「東京的」な映画、とみえてしまった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;父無し子のミア（ゴーマン・シャノン眞陽）との出会いでフィリップが変わっていく。しあわせな父子関係をもったことさえないのにニセ父を演じられるわけないよ、と狼狽したところからはじまって、かえって父のいないフィリップこそ、父にはこうあってほしかったという像を自分自身に投影して、よき父を演じはじめる。そのうちニセの親子は心をかよわせあうようになるが、しょせんは演じるだけの仕事のこと、依頼人がもうこれまでにて結構といえば、ニセの親子は離れ離れになるだけだ。その嘘の関係にまざる本当の感情の機微のことなら、よく映そうとしていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それとは別に、引退した老俳優キクオ（柄本明）をなぐさめるために雇われてニセ作家として取材にいく、という長めの挿話がある。みんながみんな病んでいるという東京の病理に切り込むのをあきらめたとしても、代わりに熊本天草にカメラが旅立つなら、それはそれですばらしいや、とみていた。老樹をおがんで土をほじくり、人生の秘密を問わず語りに語らせるのはすぐれていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;天草行きの旅路に重ねて、東京のミアが嘘のにおいをかぎつけて、嘘つきの実母を問い詰める断片を挿入する。それははっきり弱かった。せっかく心はなつかしい天草の原風景にはばたこうとしているのに、東京の毒がうしろから迫ってくるのは、まずもって愉快でない。しかし単に不愉快であるだけでなくて、これは脆弱な構成をあらわにしているのではないか？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ミアとの出会いでフィリップは変わった、というのが映画の最大の転機になっているから、ふたりが決裂したままでは映画を終わらせることができない。和解させないままには終わらせられない。そうはいっても、ミアの物語をさらに引き伸ばせない。なぜというならば、きっとそこをふくらませようとすればかならず、ミアがそこへと追い込まれているグロテスクな文化の陰に踏み込まなければならないし、そうさせることを作家はのぞまなかったから、というしかない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;よってミアの隙間を埋めるために、老俳優キクオの挿話がすこしばかりの乱暴さをともなって挿入されたようす。結果として、キクオもミアも彼らそれぞれの切り詰まった苦を深いところで提示してもらうことはできなかった。そうでなくても、キクオのエピソードをミアのエピソードで不自然にサンドイッチすることはできてもたがいに交わることのできない形式の始末になっているわけで、語りをたばねるのに技術的な困難と失敗があるのはいえるとおもう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ミアの事情を語ってもっとふくらませることのできる潜在力はまちがいなくあった。賢くてやさしい娘が閉鎖的な母子関係にはさまれてどこか抑圧されているというときに、狂った受験競争のプレッシャーでも、平均的な世間から母子家庭に加わるプレッシャーでも、とうとう最後まで不在のままだった実父の席についてでもなんでも、この家庭をいびつに抑圧しているその病理に切り込むことはできたはず。そこまでの技量をみせることができなかったとき、映画は丸くおさまったということもできれば、平均的にとどまったともいう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なにかこの作家には臭いものに蓋をして済ませようとする邪心があるな、というのを典型的にみせているのは、たとえばあのやさしいセックスワーカーの女性が主人公のよき理解者で、それはベッドのなかだけでのことではなくて、たまたま縁日ではちあわせてもつごうよく深い理解と愛情を示してくれる、というのをそうとは気づかずに残酷に描いていることを指差すことができる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;多田が経営をミスって横暴なところをみせたあと、多田自身の家庭がレンタルファミリーそのものだったことを映す興味深いシーンもそう。深い悲哀を示唆しておきながら、表面的な説明にとどめて、しかも前後の文脈から不自然に乖離したままみせてしまっている。モチーフやアイデアはおもしろいのに、それを統合する力を欠いてしまっているのが欠点になる。深刻な病理を抱えているのに、最後にはうやむやに名誉回復したことになって大団円らしくすることにはどぎつい残酷さがある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;苦しむものには耐え忍ばせて、病理の根っこと切り結ぶことをあきらめさせる映画。映画そのものがあんまり病んでしまっていて好きになることはむずかしかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;すぐれた材料はいくつもちりばめられているのに、どれひとつとっても記号としての記号が猛スピードでとおりぬけていくだけで、粘り強くしがみつく腕っぷしが抜けていることこそ現代的ともいうかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;といってもう終わりにしようとおもったけど、もうひとつあった。ふしぎなモチーフとして「窓からのぞく他人の生活」というのが反復する。フィリップは缶チューハイを飲んで、暗い部屋の窓から向かいのアパートの部屋部屋の生活をのぞきみする。それはヒッチコックの『裏窓』に言及しているようで、そのくせ背徳や罪の意識を欠いているのが不気味だったし、ニセの結婚式のあとで女性ふたりが接吻して抱きしめ合うホテルの部屋を窓の外から映してしまえば、どうしてここで神の視点があらわれるのかと疑いをもたせた。そういうショットが序盤からあらわれていたので、語りの技術に信頼をもってながめることはできなかった。&lt;/p&gt;
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    <title type="html">お風呂の換気扇を交換してもらう</title>
    <published>2026-02-27T09:00:00Z</published>
    <updated>2026-02-27T09:00:00Z</updated>
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    <content type="html">&lt;p&gt;換気扇が止まったまま動かなくなってしまった。先月はじめあたりのこと。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;大家さんに家賃をおわたしにいって、そういえばとついでのお話ではなしたら、そのままあるいて様子をみにきていただけた。電気系統がおかしくなっちゃったのかなあ、と素人考えを述べていたら、スコッと蓋をあけて、ありゃあゴミで詰まっちゃってる、とただちに見抜いてもらった。たしかにホコリのもりもりと詰まっているのがみえた。それから業務用の掃除機をもってきていただいて、おもいきり吸いこんだら、ゴオオーと動き出した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もう十年も掃除していないから、音がおかしくなってるねえ、といって、その日は終わりになった。これまでの借家でもいちども気にせずにいて、どうやらそれなりに頻繁に掃除してあげるのがふさわしい使いかたのよう。あとからそれをインターネットでおぼえた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかしその日の夜また止まってしまったから、次の週末にもういちど自分でも大掃除をやってみた。ホコリが固まっているから、コンビニでもらったアイスの木べらでほじって削ってどさどさごみ取りをした。みえるところはおおかたおとして、古いほこりは片手にいっぱいにぎりしめられるほど落ちてきた。ずいぶん満足はさせられるしごとだったが、夜になるとまた止まってしまった…&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;水曜日の朝、ドアホンが点滅しているのがみえた。来客の録画をみたら、前の日の夕方に大家さんがおみえになっていた。すこし出かけていたあいだのことだった。気づかずすみません、きょうはいつでもいます、と電話をかけてあやまったら、メジャーをもってきてくださって、採寸していってくださった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;金曜日の午後、仕事をしていたら大家さんの軽トラがはいってくるのがみえた。出たらあたらしい換気扇をもってきてくださった。お風呂場に脚立を立てて、天井の整備穴をおしあげて頭をもぐらせて、結線をばらしてボロっと古い換気扇をはずしたら、それといっしょに茶色いゴミがぼろぼろ落ちた。ぼくはうしろで見学させていただいて、たまに工具とかネジを呼ばれて手渡すのを手伝った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;天井の裏から配線をひきだしてみるみる結線して、あっというまに天井におしこめてもらった。テスト運転したら、前よりもずっと静かにスウーと動いた。静かですねといったら、あんなにうるさくないんだよとおしえてくれた。十年も経てば耐用年数がおわってしまって、交換しないともう動かないということだった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;調子がわるいみたいなんですよね、とおしえたその一週間あとにはもう新品に換えていただいたことになって、ありがたいことこのうえない話。&lt;/p&gt;
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    <title type="html">カーシェアリング協会に車検の面倒をみていただく</title>
    <published>2026-02-27T02:00:00Z</published>
    <updated>2026-02-27T02:00:00Z</updated>
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    <content type="html">&lt;p&gt;二月末に車検があるのでもってきてくださいというのでお持ちしたのは二週間前のことだった。鶴岡から帰ってきた次の日あたりのことで、雪でよごれたのをきれいにしないまま預けることになってしまった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;トヨタヴィッツを渡して、ホンダフィットを代車にいただいた。いずれも寄付の車だから一、二世代前のもので、だいたい似たようなものじゃろ、と使ってみた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ホンダはあやつりづらかった。オートマでハイブリッドのたぶん初期のやつなのだけど、制動はやたらに敏感で、始動はいつもワンテンポおそかった。コンマ数秒といっても、コンピュータがめざめるのをいちどまって走り出すみたいな感覚を居心地わるくおもった。加速はホンダのほうがよかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ふつうならこう動くでしょと直感が期待するのが先に立ってしまって、意思疎通するのがむずかしい車だった。ブレーキにはもっとあそびがほしい。加速がいいことよりも応答がいいことのほうがうれしい。そのあたりが好き嫌いらしいと知る。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;朝から代車をお返ししにいった。ワイパーと空調フィルタだけ交換して、それ以外は問題なしでしたよ、とおそわった。ミラノオリンピックのことで立ち話をした。帰り道になって、汚れがなくなっているのに気がついて、洗車までしていただいてありがとうございますといいそびれたのを惜しいとおもった。&lt;/p&gt;
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