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  <title>ﾕﾕﾕﾕﾕ</title>
  <updated>2026-07-11T05:00:00Z</updated>
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    <title type="html">最初のきゅうりを収穫する</title>
    <published>2026-07-11T05:00:00Z</published>
    <updated>2026-07-11T05:00:00Z</updated>
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    <content type="html">&lt;p&gt;大家さんにきゅーりの苗をわけてもらったのは二ヶ月前で、北海道に旅行にいっているあいだの水やりは大家さんにおねがいさせてもらった。旅行から帰ったら、つるは１．８メートルの支柱のてっぺんまでのびていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もともと花はいくつも咲いていて、まだ育つ前の実がそこここにできているのもみえていた。ともだちが北海道のおみやげを取りにきてくれたついでに庭をみせていたら、パートナーが「あれ？　きゅーりができてる！」といって、たしかにひとつプランターの陰にぶらんとなっていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;変なかたちのできかただったけど立派なきゅーりで、ハサミで収穫してお昼にたべた。豚の生姜焼きのつけあわせに、千切りキャベツのとなりに斜め切りのきゅーりがならんだ。&lt;/p&gt;
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    <title type="html">楽天対ロッテのナイターをみにいく</title>
    <published>2026-06-30T14:30:00Z</published>
    <updated>2026-06-30T14:30:00Z</updated>
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    <content type="html">&lt;p&gt;楽天対ロッテのナイターをみにいく。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ファンクラブ会員のともだちがうまくやってくれて、内野のやや後ろのグラウンドに近いところを四人でおとずれた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;先発は荘司投手で、ジャクソン投手との投げ合いになる。三回まではたしかに投げ合いだったが、四回表に荘司投手が崩れた。四球、エラー、死球、満塁弾と効率的に失点してしまった。終盤になってマッカスカー選手のソロホームランでようやく一点を返したが、最終回にチャンスを作っても一点しか返せなくて五対二で楽天は敗けた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;相手方のジャクソン投手はテンポよく投げて、打者三巡目の守備にはいると投球モーションの工夫でタイミングをはずして老獪に打ち取るのがスタンドからよくみえた。隙はなさそうだった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;荘司投手は牽制で間をつくりすぎてテンポを悪くしているようにみえたが、いっしょにいったＣさんは「誰か味方にマウンドにきてほしかったんじゃないかな」といった。たしかにロッテの捕手はノーアウトからの四球ひとつですぐにマウンドに向かっていたのにくらべて、楽天の内野陣はノーアウト満塁でもマウンドに集まらなかった。ひとりで戦っているとおもいこんで投球を苦しくしてしまっていたなら、それはチーム力の差かも。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一時間に一本の仙石線に乗るのに最終回をあきらめて席をたてばまにあったが、もしかしてとおもって最終回まで粘ったら、淡白な攻撃であっけなくゲームセットとなった。エラーを犯した渡邊佳明さんが打撃でミスを取り戻してくれることもなくて、ファンからはブーイングをあびていた。仙台駅まで半時間歩いてもどってから各駅停車にのって帰った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;試合の内容は悪かったけれども、パートナーははじめて日本野球を生でみて、へえといってたのしんでいるようすだった。荘司投手のユニフォームを貸して着せた。エンジ色のキャップを自分で選んでかぶってもいた。ぼくはビールの代わりにブルーベリーシェイクとミルクシェイクをひとつずつのんで糖分摂取に余念がなかった。&lt;/p&gt;
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    <title type="html">大雨のなかでバーベキューをする</title>
    <published>2026-06-20T14:00:00Z</published>
    <updated>2026-06-20T14:00:00Z</updated>
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    <content type="html">&lt;p&gt;高校のともだちが東京からわざわざおとずれてくれた日のこと。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;正午過ぎの仙石線でやってきて、いちど車で家に連れて行ってから歩いてお昼をたべにでた。駅前通りの料理屋さんで、ホタテフライ定食と海鮮丼をそれぞれたべた。運転するから飲んでいいよって、伯楽星を一合半のませた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;石巻の震災津波伝承館に着くと、パラパラ降りの雨は風をともなって傘のかげにはいりこんできて、腰よりしたをおおいに濡らした。アーカイブ映像の上映をみたあと、語り部のひとが展示を紹介してくれるのを拝聴した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;門脇小学校が通りの向こうにみえるのまで歩いて見学した。燃えた教室があった。ガソリンをこぼしながら車が押し寄せて正面で爆発しているとき、はじめ屋上に避難したひとびとが裏山に決死の脱出をした話をみて、その現場が残っているのをみた。炎上をまぬがれた教室をみた。はじめてきたのになつかしいにおいのする体育館には巨人が捻りつぶしたみたいにひしゃげた消防車があった。仮設住居の展示に踏み入ればものかなしいおもいをした。伝承館とあわせて三時間弱もあきずにながめて、映画ひとつみたみたいな気持ちをしながら終業時間の合図をきく。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;旧野蒜小学校を改装してキボッチャと呼んで営業している宿泊施設に着くと、先の団体さんがチェックインのために固まっていて、それがはけてからこちらもチェックインする。宿泊費を払うときに、カードならタッチ決済もできますよといわれる。一万円以上はできないんじゃないでしたっけときくと、さっき団体のひとは四十万円だったけどタッチだったよという。しかし試しにタッチしてみると通らなくて、結局はカードを差し込んで暗証番号をいれて、まあこのほうが安心ですよねと話す。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ずいぶん強まった雨のなかいちど車を降りてチェックインしたうえで、グランピングの部屋はここより向こうにありますので車であちらのゲートまで向かってくださいと指さされて、いまいちど濡れながら車で細い道の先のゲートをくぐる。するとさらにお客様の駐車場はさらに奥なのであちらまでどうぞと案内されて、再三ぬれなおしながらテントのかたわらまで進めて、ようやく駐める。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;部屋にないようすの歯ブラシと寝間着とを借りれないかしらとＳくんがいって、コンビニは国道までもどらないとなさそうねといって、飲みはじめるまえにいちど出直す？　というと、たぶん借りれるでしょといいながら受付まで歩いてもどるも誰もおらず、バーベキュー場の職員さんに相談して「夜までになんとかします！」と心強そうなのにゆだねる。それではといって大雨のなかバーベキューをはじめる。屋根のある小屋が十ほどあって、炭はもう燃えはじめていて、屋根のしたのソファに埋もれながらゆっくりやる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;スパークルホースというアメリカのバンドは、２０１０年にリーダーが自殺して解散している。そのバンドの自殺した男のための記録映画がこのまえ吉祥寺のアップリンクでかかっていて、それがめっちゃよかった、というのをきいて、それからはスマートフォンの貧しいスピーカーでかれの音楽を流した。ピンク・フロイドから借用した曲がながれたら、その話もした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;去年の夏に大曲にひさしぶりに帰省して、はじめて駅前で飲んだらすごいよかった。横手のふるさと村もいった。テニス部のＳさんがいまは花火の職人をやってて、道路に飛び出すみたいにひどい酒癖になってた。ＯくんとＡさんは結婚して秋田にかえって、県産品のオンラインショップをやってて、そこでアスパラとか買ってる。ゆでるだけで超うまい、やばい、みたいな話をきく。肉を焼いて、野菜を焼いて、アルミ皿で米を炊いた。お膳立てはぜんぶキボッチャが用意してくれた。東京からのおみやげに白ワインをみっつもってきてくれていて、そのうち二本を乾かす。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もう二組三組の家族が別の小屋でバーベキューをしていて、こどもたちが雨のなか遊んでいるのがみえたものだったけど、きづいたら九時にもなっていて、あたりは静かだ。そろそろ風呂でもいこうかというときにちょうどバーの管理人さんがきて、ぼくたちはもう終わるけどゆっくり過ごしてくださいねとおしえてくれる。食べ終わったものは片付けるので、ワインの空き瓶はおいておいてください。それなら熊も舐めにこないでしょう、とおそわる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;小学校の一階にできた木の香りのする大浴場につかって、テントのなかでキースジャレットとかデビッド・ボウイとかをききながらもうひとしゃべりする。固い会社に転職したばかりで、前ならちょっとだけはたらいてあとはサボっててもバレなかったけど、さすがにこの年であれはよくなかったといって、二年か三年くらいハードワークして箔が付いたら地方勤務のことも考えるかとかいいながら、いまはかたづけないといけない仕事があるからあしたは朝の新幹線で帰ることにしているというので、遅くならないうちに寝る。&lt;/p&gt;
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    <id>tag:jnsato.com,2026-06-19:/posts/2026/06/19/all-of-a-sudden/</id>
    <title type="html">イオンシネマ石巻で『急に具合が悪くなる』をみる</title>
    <published>2026-06-19T14:30:00Z</published>
    <updated>2026-06-19T14:30:00Z</updated>
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    <content type="html">&lt;p&gt;金曜日のレイトショーで、濱口竜介監督の新作映画をみる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;住宅地の空、土を焼いた壁、長椅子でタバコを吸う年のはなれた白人女性がふたり。遠くから騒動の声があがる。働き盛りのほうの女性が木陰を抜けていくその背後を手持ちカメラが追いかける。中庭で老人をみる。若い介護士をとがめていう、手首をつかんではだめ。手のひらをやさしく添えてあげて。芝生に落ちた手作りの指人形をひろいあげて、老人をやさしく導いてやる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;マリー＝ルー（ヴィルジニー・エフィラ）は老人福祉施設「自由の庭」の責任者で、ユマニチュードにもとづいたケアを施設に普及させようとしている。１２０人の職員のうち、半分までにユマニチュード研修を受講させることができた。もう半分のスタッフにも研修をあたえようというとき、未受講のスタッフたちの反発は手厳しい。ソフィーはベテラン看護師の立場からこういって批判する。もともと人員不足の現場から人手を奪って研修に駆り出して、リベラル風の理想主義を吹き込んで返してよこす。そして現場に断絶を生む。ユマニチュードの技術を学ぶとは、伝統的な技術こそ軽蔑に値するとおしえることなのか？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ユマニチュードとはこういうものだ。認知症の患者には記憶も感受性もみな失っているのではない。時間と空間の感覚が異なっているありさまを狂っていると断じるのは、健常者の側のもののみかたによるものだ。目をみてやさしく語りかける。いきなり腕をつかみあげない。手や顔に触れて恐怖を感じさせるよりも、肩をさすって安心をあたえながら、いまなにをしていますよと語りかけつづける。寝たきりにさせるよりも、積極的に立ち歩くことをうながす。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;寝たきりの患者が増えれば、現場の労働力は逼迫する。医療費はかさむ。その反対に、ユマニチュードのいっけんスローなやりかたは、寝たきりの患者を増やさないことによって、人手不足と資金不足を改善することができる。この逆説をマリー＝ルーは信じて「自由の庭」を改革しようとしている。こういうわけだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし現実のマリー＝ルーは、現場からは反発を受け、取締役会からは経費削減の圧力をかえられて、中間管理職の典型的な苦悩に捕まっている。なまじ福祉への情熱があるだけに、出口のなさそうな一本道をバーンアウトに向かって突っ走っている。すくなくとも、彼女のやりかたに共感して支える同僚たちは、彼女に頼っているからこそ、過労による破綻におびえている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;あしたは絶対に出勤するなよ、と釘をさされた帰り道でもマリー＝ルーは仕事のことをかんがえるのをやめられない。睡眠薬を飲んでベッドにはいろうとしたとき、スマートフォンへのメッセージで入居者のひとりが永眠したことを知る。もう耐えられないといって退職希望を伝えた若いスタッフとのやりとりがフラッシュバックする。マリー＝ルーがそれを認めさえすればいつでも限界となりうるとき、彼女は公園でのひょんな出会いからテアトル１３をおとずれて演劇をながめることになる。舞台のあと、演出家の真理（岡本多緒）はマリー＝ルーを誘い出す。長い散歩と二か国語の会話が意気投合させて、マリー＝ルーは夜間病棟に真理を誘う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;と、ここまでが長い序章で、ふたりの「マリー」が出会うための導入部となる。ひとりはフランス語で演じて、もうひとりは日本語で演じる。それで会話が成り立つための条件付けとして、それぞれ早稲田とソルボンヌに留学していたことが語られている。相手の言葉をどれだけよくわかってるかに関係なく自分の言葉で語りつづけるのは、それが感情をもっともよく表現するからだ、というのは、舞台俳優の吾郎（長塚京三）が「どうしてそんなにフランス語ができるのに日本語で演じるのか」と観客に問われて応答したことでもあった。ぎこちない言葉遣いを演出することによって言語を日常用法から劇的用法に飛躍させるのはおそらく監督の十八番でもあって、日本語を外国語のように語らせることの強烈な緊張感は、ふたりの最初の長い会話にもっともよくあらわれていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;病を抱えて死に向かうことをあつかって、認知症であったり癌であったりするその病と終末に向けた緩和ケアのことをおだやかに描いて、悲嘆よりも楽観に傾いて気持ちのいい映画。足の裏をマッサージして仲を深める、というちいさな場面が、それがなければ単に思弁的な記号の操作だけに陥りかねないところを救うのがよかった。南仏への公演にひとり旅立つ吾郎が真理の部屋をおとずれて、日没の赤い光を浴びながら役者の冥利を遠回しに、手短にだけ語る場面がよかった。わたしはたのしかったですよ、と吾郎は語った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;断定調のメッセージはいっけんなさそうにみえて、ケアとはこうあってほしいという願望が映画にひとつのメッセージを強く語らせた。激しい画面の動きも暴力もなかったようにおもい返せば、よくもわるくも安楽した映画といえる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;緊張感が画面を支配したのは、こんなにあわてて歩いたらおじいちゃんが転んでしまうかもしれない、という恐怖がみえたときのことで、転ぶことがそのまま死を意味しかねないとき、歩く老人の姿はおびえさせる。死を招き寄せておそろしい。しかしそれを嫌って入院ベッドに彼らを縛りつけるのは「老人は寝たきりにでもなってろ」という願望がそうさせることでもある。介護施設がもと精神病院だったことを映画が語っていたことをおもいだすと、この願望の先に活路はみえるはずもない。カメラは歩く老人をねっとり追った。&lt;/p&gt;
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    <title type="html">７０キロのバーベルでベンチプレスをする</title>
    <published>2026-06-13T10:00:00Z</published>
    <updated>2026-06-13T10:00:00Z</updated>
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    <content type="html">&lt;p&gt;バーベルの重りを増やして７０キロにした日のこと。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;はじめてバーベルをもちあげる訓練をしたのはベルリンにいたときのことで、７年前ということになる。アレクサンダー広場の西のはずれにあるジムに通っていた。トレーニングの名著とされる英語で書かれた参考書をみて、ゲルマン語とラテン語のちゃんぽん名詞を辞書でひきながら、必要なだけの解剖学とフォームの指南をおぼえた。そうはいっても独学なもので、たぶん４０キロくらいからはじめて５０キロくらいまであつかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;帰国してからは、国分寺駅ビルの最上階のジムに通った。高円寺駅前のジムに通った。都立家政駅前のジムに通った。再開してはやめるというのを繰り返していた。最後のほうには６０キロもあつかえるようになって、たぶん７５キロもあげたことがあったとおもう。ただ、安定して１０回プレスするのを目標にできるような重さをあつかいなさいとくだんの参考書がいっていたのに従えば、６０キロを目安にしていたものだった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;いずれ、どんな設定をどれくらいやっていたかはっきりしたことはわからない。記録をしていなかったからだ。メニューの内容と回数の記録を残しましょうね、というのが、東松島のジムにはいってはじめにもらったアドバイスになる。気分でしていたトレーニングは、ちいさな目標を継続的に記録するプロセスに変わって、ちいさな達成感を得ればまたそれが次の目標のためにコツコツ通う動機になるのだった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ベンチプレスのほうはスクワットほどに伸びなくて、三歩進んで二歩下がるやりかたではありながらも気づけば６７．５キロを安定して持ち上げられるようになって、きょうから７０キロに引き上げた。どうせ潰れるものと覚悟を決めてチャレンジしてみたら、あんがい１０回をスルリと終わらせられた。調子がよかったんだとおもう。調子を問わずに１２回やそれ以上の回数をあげられるようになるまでは７０キロでいってみる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;入会してこのかたの記録を読み直すとだいたい二ヶ月ごとに２．５キロずつ引き上げるやりかたでここまでは進んでこられたようす。次の一年でもう１０キロ増やせたら上等といってまたはじめる。&lt;/p&gt;
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